2007年9月30日日曜日

弾丸出張 - takeaway

3泊5日でニューヨークに出張に行ってきました。時差12時間近くなので調整が大変。2ヶ月前のロンドン出張よりもタイトなスケジュールで、本当に「行って」「帰ってきた」という状態でした。会社の人とのディナーミーティングと初日の夜以外は、本当に他に繰り出すことはなし。さらに、東京(午後4時半)とロンドン(午前8時半)間のカンファレンスに、ニューヨーク(午前3時半)から入る、とか本当に無茶苦茶な予定で、お陰で時差ボケにはなりませんでした。ただし、ようやく作った時間で友人に手紙を書くことはできたので良かったです。また、タイミングとしては、国連総会が始まっており、街の中は一部厳重な警戒をしていたぐらいでした。ブッシュが来る、とかイラン大統領が来る、とか、話題は尽きず。さて、今回感じたことを1つ;

① 培われる「自分の意見」

東京も「メトロポリタン」と呼ばれますが、やはりニューヨークはその比ではないでしょう。ロンドンと比べても、やはりニューヨークの人種のるつぼぶりは(今更いう事ではありませんが)、桁違いです。そのような中で(これは我々自らの意識の問題かもしれませんが)、「世論」というものがそもそも確立されにくく、常に自分がどの立場にいるか、考えさせられる局面にあると思います。日本は、大半が日本人ですから、大衆迎合的になったとしても、そこまで大きな「意見の溝」は生まれにくいと思います。なぜなら、同じような価値観、道徳観、社会観、宗教観を持った人だから。翻って、ニューヨークのような場所では、そもそも「絶対観」がないですから、全ての意見や人は相対化され、結果、自らの意見を持ち、その意見が他人とどの距離感にあるのかを対話を通して、議論して確かめる作業が重要になります。そこに、議論の土壌であるとか、自らを知ることであるとかそのようなものが自然と育っていきます。大概、苗字を見ればこの人が何系の移民であるかはなんとなく推測が付きますが、本当に分からない場合もありますし、そもそも、苗字が父親系を表していて、母親系やその先代が全然異なる民族である場合さらに複雑になります。そこで、「なんとなく大衆迎合的な」議論をすると、間違いなく「地雷」を踏みかねません。もし、敢えてその「地雷」を踏むのであれば、その後起こりうる議論に勝ちうる十分な状況証拠を勉強して得ておかなければなりません。私も、今回危うく自分の意見としてではなく、(私も確証のない)日本の世論をそのまま伝えそうになり、相互理解を後退させかねないようなことをしそうになり、寸でのところで気づいたので、良かったですが、その意味でも自分がもっと国際社会、国際政治、国際経済、宗教・道徳観について、理解しておかなければならないと感じさせられました。

ということで、みんなに「ニューヨークに行って、他に何も見てこなかったの?アホだねー」と言われてしまいますが、本当にその通り。ほぼ地球の裏側まで行ったのに。帰国日、空港へ向うタクシーに乗ったとき、ホテルの隣りが、ミュージカルのシアターだったことに今更ながら気づき、とても悔やまれます。。。 今回も物凄い刺激を得て帰ってきたので、さっそく勉強しなければ。


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