2007年9月30日日曜日

その他、もろもろ。。

そういえば、帰りは全日空の「お帰りハイヤー」を使わせていただいて帰ってきました。帰りがけ、運転手さんといろんな話をしました。その中で、また出身を間違われました・・・・・。


運転手:  「で、お客さんはどうしてニューヨークから帰ってきたわけ?」

僕:     「仕事で、ニューヨークで展開しているサービスを調べに行ってたんです。」

運転手:  「へぇそうなんだ。で、お客さんはこちらの出身かい?」

僕:     「いえ、盛岡の出身なんです。」

運転手:  「そうかぁ~、じゃあ、九州男児だ!」

僕:     「(なんじゃそりゃ?と思いながらも)えぇ、まぁそんなところですかね。。。。(汗)」


今回は、新手のドッキリでした。なんか、物凄い力技で決められた感がします・・・・。そんな間違い方する?みたいな。でもとっても気さくな運転手さんで、会話は、このような間違いを揉み消すかのごとく、どんどん続く・・・。 「お帰りハイヤー」制度を作った全日空と、日本航空の会社の体質の違いを運転手さんから滔々とうかがった後に、「日本の政治も一緒だ!」という話になり、派閥争いをしている間に、構造改革を見失ったり取り残されていくんだ、という話になり、先日の参院選の結果と、今後の福田内閣の話になり。。。。


確かに、今回の組閣、どう考えても構造改革が今までのスピードで前進するようには思えません。「温かい改革」というのが曖昧模糊として、実態が掴みにくい。もっとリズム感ある政策を切に期待します。ちょうど出張中には、福田内閣が組閣され、メディアでも一部取り上げられています。英フィナンシャルタイムズ、米ウォールストリート・ジャーナルでも、大きくはないですが記事がありました。その中では「旧来の政治への回帰」ということがメインに書かれており、まだそこまで批判的ではないにしろ、小泉元首相を「カリスマ的総理大臣」と書いているのに対して、阿部前首相には「体調不良の」という表現であり、福田首相には「バランス感覚」「旧来の派閥政治」といった言葉が枕詞として付されて表現されていたのが印象的でした。また、ニューヨークオフィスの人とちょっとした時間の間に、結局今回の参院選をどのように見るか、ということを議論すると「民主党が良かったから買ったのではなくて、自民党が嫌だったから民主党が結果的に票を集めたのではないか?」という意見が大半。積極的な選択ではなく、消極的な選択だったのだろう、と。非常に冷静に受け止めているんだなぁ、と感心しました。


逆に現地で主に議論されていた話としては、「サブプライムに端を発する世界景気減速は、単なる減速か?それとも景気後退か?」という議論と、バーナンキ現FRB議長の金融政策の見通し、並びに(ちょっと意外だったのは)グリーンスパン前FRB議長は有能だったのか?という議論(特に、2004年6月まで低金利政策を実行してきた結果、過剰流動性並びにその後のサブプライム、新興市場国バブル、投資ファンド、一次産品スペキュレーションを引き起こしたのではないか?という議論)でした。



その他、ミャンマーでのデモが大きく報道されていました。やはり、ニューヨークには東京とは比べ物にならないほどの様々な意見や見方があり、それはとても面白いです。出来ることなら、その現場に身を置いていたいですが、少なくとも向こうのメディアはインターネット版、または現地の新聞・雑誌を購読するなどして、目を離さないでいたほうがいいと切に思いました。


さて、話を「お帰りハイヤー」に戻して、ここ数年でやはり予想通り、というか動態の変化が出ていることが分かりました。ちなみにこのお帰りハイヤー制度は欧米から成田に帰ってくる飛行機(計8便)あるそうです。大体一日、60名~180名の方が利用するようなのですが、やはり四半期末の方が利用者が多くてその間は余り多くなく、ゴールデンウィークは意外に閑散としているそうです(やはり仕事関連の人が多いんですね。) 圧倒的に使用する人はニューヨーク線が多くて、大体一日の3分の1ぐらい、次がフランクフルトで、その次がシカゴだそうです。ここで、フランクフルトとシカゴ?という気がしたので聞いてみると、日系企業の東欧・南米への現地進出に伴い、東欧→フランクフルト→成田という人や、南米→シカゴ→成田と帰ってくる人が多いことを反映しているのだとか。この動きはここ数年(2年ぐらい)で増加しているトレンドのようです。残念ながらお帰りハイヤーは中国と日本を結ぶ路線には設定されていないそうですので、もし中国も入ってくるとまた全然異なった世界の動き方が垣間見れるでしょうね。


そんな感じで、様々な人とのやり取り、ふとした物事のトレンド変化からも、現在の世界の立ち位置を認識でき、自分としては今持っている考え方との大きな乖離はなかったな、と思いました。

弾丸出張 - takeaway

3泊5日でニューヨークに出張に行ってきました。時差12時間近くなので調整が大変。2ヶ月前のロンドン出張よりもタイトなスケジュールで、本当に「行って」「帰ってきた」という状態でした。会社の人とのディナーミーティングと初日の夜以外は、本当に他に繰り出すことはなし。さらに、東京(午後4時半)とロンドン(午前8時半)間のカンファレンスに、ニューヨーク(午前3時半)から入る、とか本当に無茶苦茶な予定で、お陰で時差ボケにはなりませんでした。ただし、ようやく作った時間で友人に手紙を書くことはできたので良かったです。また、タイミングとしては、国連総会が始まっており、街の中は一部厳重な警戒をしていたぐらいでした。ブッシュが来る、とかイラン大統領が来る、とか、話題は尽きず。さて、今回感じたことを1つ;

① 培われる「自分の意見」

東京も「メトロポリタン」と呼ばれますが、やはりニューヨークはその比ではないでしょう。ロンドンと比べても、やはりニューヨークの人種のるつぼぶりは(今更いう事ではありませんが)、桁違いです。そのような中で(これは我々自らの意識の問題かもしれませんが)、「世論」というものがそもそも確立されにくく、常に自分がどの立場にいるか、考えさせられる局面にあると思います。日本は、大半が日本人ですから、大衆迎合的になったとしても、そこまで大きな「意見の溝」は生まれにくいと思います。なぜなら、同じような価値観、道徳観、社会観、宗教観を持った人だから。翻って、ニューヨークのような場所では、そもそも「絶対観」がないですから、全ての意見や人は相対化され、結果、自らの意見を持ち、その意見が他人とどの距離感にあるのかを対話を通して、議論して確かめる作業が重要になります。そこに、議論の土壌であるとか、自らを知ることであるとかそのようなものが自然と育っていきます。大概、苗字を見ればこの人が何系の移民であるかはなんとなく推測が付きますが、本当に分からない場合もありますし、そもそも、苗字が父親系を表していて、母親系やその先代が全然異なる民族である場合さらに複雑になります。そこで、「なんとなく大衆迎合的な」議論をすると、間違いなく「地雷」を踏みかねません。もし、敢えてその「地雷」を踏むのであれば、その後起こりうる議論に勝ちうる十分な状況証拠を勉強して得ておかなければなりません。私も、今回危うく自分の意見としてではなく、(私も確証のない)日本の世論をそのまま伝えそうになり、相互理解を後退させかねないようなことをしそうになり、寸でのところで気づいたので、良かったですが、その意味でも自分がもっと国際社会、国際政治、国際経済、宗教・道徳観について、理解しておかなければならないと感じさせられました。

ということで、みんなに「ニューヨークに行って、他に何も見てこなかったの?アホだねー」と言われてしまいますが、本当にその通り。ほぼ地球の裏側まで行ったのに。帰国日、空港へ向うタクシーに乗ったとき、ホテルの隣りが、ミュージカルのシアターだったことに今更ながら気づき、とても悔やまれます。。。 今回も物凄い刺激を得て帰ってきたので、さっそく勉強しなければ。


2007年9月23日日曜日

世にも恵まれた人間

それは私なんですが、ホントに最近いろんな人と話して、いろんな人から気に掛けてもらったり、すごく相談にのってもらうことが多くて、自分はいろんな人に恵まれた人間だな、と感じます。本当にありがたいなぁ、と。

本当に最近「みんな大好きだー!」と思う瞬間が多くて、その時間がとってもいとおしくて、こんな仲間の中でお互い人間的に高めあい、知識も高めあい、意識を高めあい、、、とやっていけたら、とても素晴らしい好循環じゃないかな、と、思うことがたくさんあるのです。

その一方で、みんなのいろんなスゴさに感化されて、自分はとても中途半端だなぁ、と思うこともたくさんあります。結局、日々その葛藤の中で生きているわけですが、やっぱり生きることに「ウルトラC」はないので、地道に、着実に、そしてフル回転で生きなければ、と思います。(時にガス抜きしつつ。)

さて、昨日は新宿でトルコ料理を食べました。トルコは今まで自分の意識の中にあまり入ってこなかった国ではありますが、トルコ料理を食べ、トルコの勉強をして、ベリーダンスを見て。。。。 そして、酔っている中で、東洋的?西洋的?ともつかず、ペルシア的というのが適切なのか分からないけど、音楽に更に魅せられ、すっかり心を奪われました。一度行ってみたい。

終わったあとは、近くの老舗居酒屋「どん底」へ。物凄いレトロな居酒屋で、そこの「どん底カクテル」なるものを飲みながら、話す。題は、何故か「ほそけいの恋愛について」。

うー、痛い。

ちなみに、いろんな人からダメ出しを食らい、個人的にはちょっと凹みましたが、言われる通りだなぁ、と。みんなの暖かさを幹事ながら朝2時半?(確か。相当酔っ払ってたので)で、そこから僕は自転車で帰る。深夜3時に、新宿→日比谷→品川→大森→川崎→家、と帰る。家に到着したのが、朝4時。(もうちょっとで起きる時間じゃないか!)新聞配達の叔父さんと併走しながら。。。。

次に目が覚めたときは、朝8時過ぎでした。(しまった、この生活!) でも、ホントに楽しかったなぁ。

2007年9月10日月曜日

写真はこちら↓

http://hosokei-style.vox.com/

肝心のシーカヤックの写真を撮り忘れてた。しょうがないか、みんなの写真がアップデートされるのを待とう。

してやられた、この週末・・・!

えー、この週末は、間違いなく人生で忘れられない土曜日になりました!

7月に予定していたシーカヤックが、台風で中止になったためにリベンジマッチで今日、シーカヤックに行きました。7時30分品川待ち合わせでしたが、僕が寝坊して8時過ぎに品川出発~。1時間ちょっとで今日のシーカヤックスクールに到着!先発隊は(っていうか、僕が寝坊したので、僕らの車が遅く着いただけですが!)先に到着してました。今日は、シーカヤックスクールの平野さんと加藤さんが12人を引率してくださいました!

シーカヤックは、サンフランシスコの南のモントレーでやって以来7年ぶり。先生+はらちょく(←もと部活)はスイ~っと出艇していく中、そしてみんなも「初めて」と言いながら、何事もなく船出していく中で、僕は一人苦戦、っていうか、バランス取れないのが想像以上でした。で、実はプルプル震えながらなんとか出艇。昨日が強い台風9号がこの地方にかかっていたことから、今日も波はその余波を受けて高かったです。直ぐにバウ(←船首のこと!)を波に対して垂直にしないと波に巻かれるところ、自然と波と平行になり、さらにプルプル度が上がる。「しまった!今日一日これかも・・・・。」とちょっと焦りつつもなんとか倒れずに湾内の波の穏やかなところに着いた。


http://www.planetdebbie.com/photos/2001/sjec2001/highlights1/highlights1.html

そこで、①まっすぐ漕ぐ、②ターンする、の基礎的なことをやっていたらあっという間に昼。湾内の、昆布が打ち揚げられている地帯で下船して、浜辺で休む。と、そこにはらちょくがおもむろに「ほそけい、パドリングの練習しようよ。」と。「やっぱり、海に向ってやったほうが臨場感湧くからさ。」と、いうことでパドルを持って、海に向って、はらちょくに云われるままに、パドリングの練習をしていると。。。。。

「happy birthday to you~~~」の歌声が。

「誰だ?」と思って、パドリングの手を止め、振り返ると、なんと「私!」 そう、この週の週初にめでたく20代最後の誕生日だったのです、私。。。。 マジで、赤面しました。今まで、祝われるなんてあまり経験してなくって、すごく嬉しかったと同時に、ホントに穴があったら入りたかった! あの炎天下で、隠れるものは見当たらず。せめてあの打ち揚げられた昆布ぐらいでしたが、ホント、あの時は日焼けで赤面してたと同時に、嬉しさと恥ずかしさでさらに赤面していた、はず。 そこで、昔くんちゃんのところに忘れてしまったタンブラー、になんと、スタバカードが!! もー、みんな大好き。 いつの間にこんな仕組んでいたんだろう。 なんと陽がカメラを入れるケースに一緒に入れていてくれたらしい。。。 ホント、シテヤラレマシタ!!

そして、昼飯を食って(鮭、玉子焼き、ポテサラ、煮物、ご飯の弁当!)、午後の部。 午後は午後で外に出たかったものの、波が高くて出られず。 湾内と湾と外海の間のところまで行ったり帰ったり。 で、ちょっと油断したその瞬間に。 ザブーン。 なんと僕が(お約束じゃなく、ホントに素で。。。)転覆。 転覆した際の脱出方法を教えてもらっていたお陰で、どうすればいいんだっけ?と水の中で考えつつ無事に脱出。 っていっても、突然フェイントで転覆すると、ビックリでした。 ちなみに、他に特徴的だったカヤックは、座礁好きのくんちゃん、美幸艇。 気づくと、「キャー」と言いながら、2艇が、寄り添って座礁していたり。。。(でも、顔は笑ってました。座礁して喜んでいるところを見ると、あなたたちもM?) そして、日焼け防止のため、富士山山頂で着るウィンドブレーカーを着て炎天下のカヤックに乗っていた+秋谷在住のみっちゃん。 などがおりました。 Anthonyとかは、はらちょくとガンガン漕いでました。

そんなこんなで、あっという間に午後3時を過ぎ、今日のスクールは終了。そのまま今度は夜のBBQの準備へ。僕の車は海の幸を買うチーム、陽カーはくんちゃん、はらちょく、Anthonyを駅まで送る。で、色々買い物して帰宅し、BBQ! 買ってる最中に、ヒロコが今週末カナダのトフィノに行くことが発覚!(←トフィノは僕も本当に大好きな場所。あそこのユースホステルにずっと泊まっていたい。そして、僕が将来ユースホステル経営したいな、と思わせてくれた原点となった場所。) 家にはタマちゃんが来ていて、ちょうど「波がいい!」と言って、サーフィンに出かけて行った。秋谷らしいなぁ、ってかその感覚がいい! (ちょうど、富士山の山影が、沈む太陽に照らし出されて薄っすら見える中、タマちゃんのサーフィンの写真(←これはかなりナイスショット!))最近のマイブーム的には、「サングリア」がマイブームだったので、サングリアを作る。それから和代ちゃんがパエリアを。あとN晶子もトマトを剥く。さすが、食の編集をしているだけある!

で、海岸まで出てきて、BBQ用の台で火起こし。火起こしは、火起こし名人のMさん、陽、僕で火起こし。さすが昔新潟のボーイスカウトにいただけあってMさんの火起こしは、かなりプロフェッショナル。そして火が起こせた後で、食材は揃ったのだが、先ほど「サングリア」を台所で作って、海岸に持ってきておいた「サングリア」と共に、「みんな帰ってきて!」と。云われるがままに、戻ると、みんなが居間で飲んでた。BBQをやる前に「一回今日の振り返りをするのがこの家の慣わしなのかな?」と思いながらそのマッタリ飲みに加わる。で、タマちゃんがサングリアを入れてくれて「ほそけいは、一気だな!」と言われるがままに、一気。で、ちょっと残してたら「全部飲んでないじゃん、飲みなよ」ということで、全部のみ干すと・・・・・・。

なんと!コップの下に、セロテープ付けで「Please open!」と書いてあるではないか! なんじゃこりゃ~~~~!!!

と思って、この後始まることには全く思いも及ばず、Openしてみると、「次は掛け軸の下」とか、家の中を言われるがままに、探検。。。もう、何が起こっているのかわからず、そしてみんなは「ほそけい何やってんの?」と、トボケているし!家の中を散々歩いたりして、家の2階にあったメッセージを見ると、最後のメッセージ(今から思えば)「階段の下に宝があるよ。」
で、階段を下りていくと、真っ暗な部屋から、パンパン!とクラッカー!+happy birthdayの歌+なんとみんなのメッセージ。 そして、誕生日ケーキ!

もー!もー!もー!もー!もー!もー!もー!もー! ホントにビックリ、感激!! もー、それしか言えません! 全然気づかなかったー!ホントにシテヤラレタぜぃ!

みんなのメッセージを読んだり、みんなが仕掛けてくれたことを思ってホント嬉しくて、嬉しくて、そして、嬉しいのと同時に、まだ事態が掴めていなかったりして。ホントに、僕はアドリブに弱くって、もー、ただただぼう然。(ありゃー、とか、感嘆詞しか言ってなかったと思う。) でも、ほんと、何よりも誕生日にメッセージをくれるってホントにかけがえないな、って思った。 ホントに嬉しくって、嬉しくって。 29歳も全開で過ごしてやるぞ!と思ったし、こいつら、ホント大好きだーーーーー!! って思った。

そんな、気持ちになりながら、浜辺でBBQ。 うま過ぎ! これ、ホント毎週末やりたい。そこで一頻り話して、寝る。みんな、ようやく寝たのが1時ごろ。

翌朝、みんなが寝ている中、僕は朝6時に起きて、一人家に帰ったのですが、一夜経って、ようやく事態が掴めてきて、帰り道、またもや嬉しさが込み上げてきて+みんなの気持ちに満たされてるなーって思って幸せになった。 多分今年一年これでイケル! そして、ホントに嬉しくて嬉しくて、実は帰り道に(ちょうど帰り道の道すがらにあるのですが)、朝から横浜の火の公園墓地にお墓参りして、昨日起こったことを、御先祖様に報告しました。 嬉しくてお墓参り、なんて普通しないもんなのでしょうが、余りに嬉しくなって、つい帰り道に寄ってしまいました。

ホント、みんな大好き! 今年も太く、長く生きるぞ。なんか、もう今年も幸せで楽しい年な気がしてきた!

2007年9月3日月曜日

Chance II

またもshort noticeですが、9月下旬より今度はニューヨークへ出張となりそうです。今度はゆっくり行けるのか、と思いきや、ロンドンより日数が少なくなりました。4営業日。

商品知識に加えて、やはりface-to-faceの関係は重要で、今回も現地営業部ともコネクションを作りに行ってきたいと思います。目指せ、高生産性。

誰か9月下旬にニューヨーク周辺にいたら、教えてください。 --> hosokei1978@ezweb.ne.jp

前髪通信②

前髪通信①を書いて以来ですが、ミナサマから「その後どうなったのか?」と心配(というのか、興味本位というのか)の声を多数頂きましたので、「事故後」2週間目の前髪の状況をお伝えします。

あの事故以来、不揃いに斜めだった前髪も、スクスクと育ち、現在は通常通りの形になってきました。最近では、皆から前髪を指摘されることもなく、恙無く生活させていただいております。

しばらくの間、床屋不信に陥りそうですが、今度また勇気を振り絞って、髪を切りに行きたいと思います。

2007年9月2日日曜日

富士山登山

今日は富士山登山へ。9月1日午後1時に須走口を出発。以前、使ったことがある登山道とはいえ、それなりに暑いし、登山道を登るのは大変。とはいえ、テクテク登りました。(結局、追い越しばかりで誰にも追い抜かれず、本八合目まで3時間半で登れました!)

初めのうちは、向かい側の人や追い越させてもらう人に「こんにちは」と声をかける余裕があったものの、そんなものは早晩になくなり、汗だくになりながら登りました。5合目は小雨交じりの曇り空だったのですが、7合目を過ぎたあたりから、雲が消え、青空が広がりました。

白い綿雲が回りに見えたり、山肌を駆け上がる雲など、とても綺麗でした。高度3000メートルを超すあたりからは、息が上がり始め、今までの調子では登りづらくなってきましたが、それでも構わず、休み休み登り、午後4時半には本八合目の「胸突江戸屋」さんに到着。5時からご飯を食べ、早々に布団へ。

とはいえ、ぐっすり寝られるようなところではなく、後から人が来たり、寝る場所がなくなったりということで寝られたのが9時過ぎかな。そして11時半に目が覚めてしまい、それから1時間ぐらい布団でグダグダして、起床。(1時)

それから支度をして直ぐに出発しました。ちょっと道が混んでいましたが、それでもずんずん登り、1時間ほどで頂上に到着。(朝2時)。友人の時計は「6度」と言っていました。その中を風を逃れて吹き溜まりのところに座り、身をかがめて待つこと2時間半。

ようやく4時半ごろから空が明るくなりましたが、その時には本当に心身冷え切っていて、しかも寝不足+空気が薄い、でちょっと大変でしたが、難なく乗り越え、5時の日の出の素晴らしい写真を撮影することが出来ました! → http://hosokei-style.vox.com/

その後、山頂を回り、6時ごろから下山開始。須走は「須らく走るべし」なのか、本当に砂走りで走らされました・・・・。大変。でも下山も2時間で降りてこられ、5合目に戻ってようやく酸素が沢山吸えて、本当に良かったです・・・・。

今シーズンは今日あたりが富士山登山の最終日になると思いますが(来週も大丈夫なのかもしれないけれども)、本当につかれたけど、価値ある登山でした。。。